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カレンダーこぼれ話 vol.7「ルノワール “幸せ”を描き続けた巨匠」前編

こんにちは。
今回は、新商品の住空間に馴染むコンパクトなアートカレンダー『スマートアートシリーズ』についての“こぼれ話”をご紹介します。

2021年のスマートアートシリーズに選ばれたのは、言わずと知れた印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール。
絵にはあまり詳しくない、という方も、彼の名前は耳にしたことがあるという方が多いのではないでしょうか。

2021年に、ルノワールは生誕180周年を迎えます。日本各地でも展覧会が開催される予定ですので、これからあちこちに彼の作品を見かける機会が増えるかもしれません。

この絵を見るポイントって何なのかな? そもそもこの画家のことを知らない……どんな人?
そんな方はぜひこちらの記事を参考になさってみてください。


音楽の才能を発揮した少年時代

ルノワールは、貧しい仕立て屋の父とお針子の母の間に、7人兄弟の6人目として誕生しました。残念ながら兄弟の2人は幼い頃に亡くなってしまい、生活は苦しかったそうです。家族はルノワールが3歳の頃にフランス中南部のリモージュからパリに移り住みました。

幼いルノワールが、とびぬけた芸術的センスを持っていたことがわかる面白いエピソードがあります。
教会の聖歌隊に入っていたルノワールは素晴らしい歌と音楽の才能を発揮しました。

あまりの才能に、聖歌隊を指導していた、オペラ「ファウスト」や「アヴェ・マリア」で知られる、作曲家シャルル・グノーに音楽の道に誘われていたそうです。

当時は磁器製造で有名な街リモージュにいたこともあり、歌手より堅実だからと、結局両親が断って陶磁器の絵付け職人の見習いとして働き始めたそうですが、ルノワールの美しい声、どんなものかちょっと聴いてみたかった気もしますね。

 

職を失い画家の道へ
13歳で絵付け職人となったルノワールは、その絵の上手さから「ムッシュ・ルーベンス」と巨匠にちなんだあだ名で呼ばれていたそう。
ところが、これで食べていけると思った矢先、産業革命からの機械化によって量産品がどんどん生み出され始めたため、5年後には、ルノワールはせっかく手にした職を失ってしまいます。

その後、食べていくために扇子の装飾などの仕事をしていたルノワールですが、20歳の頃、改めて画家の道を志そうと、美術学校に入学しました。
そしてスイス人画家のシャルル・グレールのアトリエに所属し、モネ、シスレー、バジールなど若い芸術家仲間と親交を深めます。

ルノワールはそうした仲間たちと共に森に制作に出かけ、陽の光をキャンバスに描きだすことで、後に「印象派」と呼ばれる、自然の光を捉える彼ら独自の作風を生み出していきました。

印象派とは、大まかにいうと『自然の全体を解釈するために、現実からひとつの要素、すなわち光だけを選び取った』概念のもとに描かれた作品、作者たちを指します。名前の由来は、リーダー的な役割を果たしたモネの「印象-日の出」という絵の題名から批評家によって名付けられました。

 

印象派、苦難の時代
しかし彼らの道は険しく、当時画家は「サロン」で認められなければ、画家としてのレベルが認められず、絵を買ってもらえなかったのですが、「印象派」の作風は多くの保守的な批評家に酷評され、サロンから爪はじきにされてしまいます。

批判に屈さない姿勢を見せた印象派は、サロンへの出品をボイコットし、その後、彼らだけのグループ展を開催します。
そして、そこで名誉を回復できる…かと思いきや、集客も少なく、彼らはこれ以上ないくらいに酷く叩かれる結果に。なんと、グループ展に足を運んだほとんどの人が絵を侮辱したり批判する目的だったそう。

めげずに第二回、第三回、と印象派展は行われますが、どれも結果はふるわず。

現在では世界中で愛されている、ルノワールの描いた光を浴びる裸婦の美しい色彩は、「緑と紫の斑点の出た腐敗しつつある肉のかたまり」とまで容赦なく批判されました。

そして彼らの絵は売れず、生活は困窮していき、モネに至っては絵具が買えないので絵を描けない状況にまで追いやられてしまいます。

明るく穏やかで、どちらかといえば豊かなイメージの彼らの作品は、発表当時ほとんど受けいられなかったのです。光どころか彼らを包むのは闇…。

どうなる印象派!?そして自信もお金も失ってしまったルノワールの窮地を救ったのは?

じつは、ルノワールには他の仲間にはない、とある「特長」がありました。
彼は自分では気付かなかったその特長のおかげで、印象派の中で最初に認められはじめます。

さて、それは一体どんなものだったのでしょうか?
続きは後編でお楽しみください♪

 

後編はこちら(3/6公開予定)です

■Bal du moulin de la Galette
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場 1876年 パリ・オルセー美術館
■Portrait de Jeanne Samary
ジャンヌ・サマリーの肖像  1877年 プーシキン美術館

参考文献:①パトリック・ベード/訳者:宮崎克己(1992)『岩波 世界の巨匠 ルノワール』岩波書店.
②「週刊美術館 2 ルノワール」2000年2月15日号,小学館.

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